2024年初め、自動台ひょうに続いて、上皿さおはかり(通称:うわかん)がその長い歴史に幕を閉じました。
今回は、田中衡機工業所のアイドルだった上皿さおはかりの歴史を振り返ります。
田中衡機工業所で、上皿さおはかりの製造が開始されたのは、創業間もない1923年からと言われています。当時と今ではデザインが異なりますが、基本的な構造は同じです。
上の写真は、かつて田中のハカリを取り扱ってくださっていた藤本商店様の様子。記録によれば昭和30年(1955年)頃に撮られたものだといいます。
また、こちらの封筒には田中衡機のロゴとして、上かんのシルエットが使われています!昭和何年頃に作られた封筒なのかは残念ながら不明ですが、この頃から田中衡機のシンボルだと思われていたことがわかります。
時代が平成、令和と移り変わり、電気式はかりが主流になると、上かんの売上も段々と減り、いつしか国内で製造を続けているのは田中衡機1社だけになっていました。
田中衡機は、たとえ生産性が悪くても、ハカリ技術の継承という社会的な責任感や誇りを持って、上かんの製造を続けてきました。しかし、需要の変化や必要な部品の調達が困難になり、製造を中止する決断になりました。
悲しい最後を迎えてしまったけれど、決して上かんは厄介者だったわけではありません。
展示会には必ずと言っていいほど、上かんを携えて行きました。「タナカさんといえば、やっぱり上かんだよね」と声をかけていただいたり、若い方には「これ、なんですか?」と聞かれたり、いろんな意味で会話の種になってくれました。
上かんは、まさしく「田中衡機のアイドル」と呼ぶにふさわしい製品でした。
「田中のこと」でも幾度となく取り上げてまいりました。
過去の記事は↓
工場では、2024年現在、最後の上かん製造が行われています。あの整然と並んだ上かんがもうすぐ見れなくなると思うとさみしさもありますが、100年にわたって、製造してきた上かんたちは、まだまだ様々な現場で活躍中です!
ノスタルジックな趣があり、サイズ的にも保管がしやすい上かんは、きっとこれからも長い間大切にしてくださる方がいるのではないかと思います。
そんな方々の想いに応えるためにも、部品の在庫が続く限り、上かんの活躍を支えていきます!